2002年12月1日(日) 三段山事故記録(旦那骨折) 天候:雪 気温:-5〜-10度 風速:0〜1m 視界:上部は不良、下部は良好 雪量:やや不足 雪質:軽いパウダー コース:白銀荘〜三段山山頂 白銀荘9:40(1414m)-11:20廊下(1522m)-12:00三段山山頂(1734m)12:38-12:48事故地点(1693m)13:10-白銀荘(1414m)14:06 メンバー:旦那、ゆきこ、スー、Hiro、かっちゃん、チリ 合計6人(順不同) 事故の状況 山頂から滑降を開始した時点から報告する。 12:28分に滑降を開始した。山頂付近は気温が-10度と低く視界も悪かったが、風や降雪は無く、危険を感じるような状態ではなかった。 いつものように私が先頭になり、GPSで位置を確認しながら西の谷へ向かうコースへ先頭で降りていった。頂上付近の稜線は岩が露出していたので、稜線から北側に少し降りたところを滑降するよう皆に注意を促した。 山頂直下で帯広勤労者山岳会の一団と出合い、すれ違いながら挨拶を交わした。 さらに西側に稜線を下ったあたりで、単独で登ってきたHYMLのK井さんと出会い、少し話しをした。 そして滑降を再開した直後に事故を起こした。 視界が悪く細かい斜面の状況が分かりづらかったせいもあったが、雪の被った岩をハイマツと誤認して、特に回避せずに踏んでしまったのだ。シュカブラの多い斜面を避けて、稜線上のフラットな所を滑降しようとしたのが失敗だった まずギザギザの岩(写真10の矢印A)に板がぶつかって急ブレーキがかかり、体が前に投げ出されて別の岩(写真10の矢印B)に右肩から落ちてしまった。 落ちた瞬間、嫌な音がして激痛が走った。 ただごとでないことはすぐに分かった。右手は、手首から先が動くのは確認できたが、それ以外はまったく動かせない。 激痛でしゃべることも体を起こすことも出来なかった。 下界の怪我と違い、すぐに思いを巡らせたのは、自力で下山できるかどうかだった。この痛みが続くようなら、自分では何もできないかもしれない。仲間だけが頼りだ。 皆すぐに駆けつけてくれてくれたが、「右腕・・折れたかもしれない」と言うのが精一杯だった。 何分か倒れたままそっとしてもらって、痛みのピークが通り過ぎるのを待った。少し落ち着いてから体を起こしてもらいザックを下ろしたが、その時に右肘から「ポキン」という音がして、肘の痛みがかなり和らいだ。 脱臼していたのが、なにかの拍子に戻ったのだと思う。 右肩と右肘が負傷していることを伝えると、すぐにスーさんがザックから携帯添え木を取り出し、Hiroさんがチリ君のダクトテープでウエアの上から右上腕部をグルグル巻きにして、添え木と右肩をしっかり固定してくれた。 右肘部分は、Hiroさんのゾンデ棒を添え木にし、チリ君の予備上着を三角巾かわりにして吊してもらった。 旦那のザックの中には三角巾も添え木もあったのだが、その使用を指示するような余裕は無かった。周囲の迅速且つ的確な手当には、本当に感謝したい。K井さんもすぐに登山を中止して駆けつけてくれて、なにかと手助けをしてくれた。 これらの処置のおかげで、私はほとんど痛みから解放されて気持に余裕ができた。負傷と救急処置の状況を記録する良い機会なので、ビデオカメラで自分を撮影してくれるように頼んだ。 固定のおかげでほとんど痛みが無くなり、たぶん骨折ではなく脱臼程度で済んだのだろうと思った。 幸い右腕以外には負傷は無かったので、自力下山は十分可能だと判断した。右肩の固定によってザックが背負えなくなったので、荷物は皆が分担して担いでくれた。ポールは二本とも嫁が持ってくれた。仲間に医療関係者が居たわけでもないのに、怪我をしてから滑降再開まで約20分の早業だったのは驚きだ。 札幌のS田氏もちょうど通りかかり心配してくれたが、大丈夫だという旨を伝えて登山を続行してもらった。 自分なら片手だけで三段山を滑り下りれるだろう。幸い今日は雪質も良い。なにより、K井さんも含めて6名もの頼もしい仲間がいるのだから、なにも心配することはない。 そうとなれば、皆の滑降の楽しみはなるべく奪いたくないので、コースを指示するために先行し、視界が開けたところで嫁と私は皆と別れた。皆が良い斜面で滑っている間にコースをショートカットして少しでも下降距離を稼ぐためである。慎重に谷を降り(基本はボーゲン)、なるべく登り返しが無いように 尾根をトラバースした。 困ったのが急斜面上のキックターンだ。こればかりは両手が使えないと難しい。 キックターンを避けるように下降したが、一度だけ急斜面で立ち往生してしまい、座りながらターンした後で、嫁に起こしてもらった。 ここから夏道へ戻るルートを取り、斜面を登り返して滑っているチリ君やかっちゃん以外と合流した。登り返しのありそうな部分やフラットな部分は皆に先行してもらって堅いトレースを付けてもらい、最後に私がそこを勢いをつけて通過して登り返しを無くしながら下降した。 このような皆の気遣いは、ストックが使えない自分には本当にありがたかった。 こうして、順調に白銀荘に到着。直ちに白銀荘の電話帳で旭川市内の病院の電話番号をいくつか調べ、旭川へ向かう車内から携帯電話で開いている病院を調べて連絡を取り、嫁の運転でそちらへ向かった。途中でHiroさんに私の三角巾できちんと腕を固定し直してもらった。 |