風神・雷神
2004年7月27日(火)
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以前、「ついてない一日」をBBSへ投稿してくれた、築地なにわやさんの「ついてない一日パート2?」雷に襲われた体験談を転載しました。雷の恐怖と恐れを知らぬ登山者の実態が描かれています。



おひさです、築地なにわやです。長くなるのですいません。
昨夜、針木岳〜鹿島槍お散歩から帰ってきました。
話題の雷撃事件(駒ヶ岳ロープウェイ落雷停止、鹿島槍雷撃1名死亡数名けが、爺ケ岳7名?けが、立山ロープウェー落雷停止)のまっただ中でした。
種池ヒュッテでは被災者と、そのヘリ搬送(3往復)を目の当たりにしてきました。
被災者のうち、もっとも背の高い60才前後の男性が顔面裂傷となっており、小屋の応急処置の縫い合わせでフランケンシュタイン状態となっていました。その他も同年代の女性で、目をやられたり、気分が悪いとか、耳から血が止まらないとか、症状は様々でした。くわばらくわばら・・・。
私自身も間一髪でした。
 当時の自分の行動を振り返ってみますと、前日のラジオにより寒気による積乱雲の発達により雷の危険が高いことは承知していました。その日は縦走をあきらめ、谷に降り奥黒部にイワナ釣りにでも行こう(冗談)とかみさんに提案しましたが、どうしても花畑と頂上を踏みたいと泣きつかれたのが運の尽き。針木峠天場から種池天場の予定(コースタイム7時間半)を短縮し新越小屋まで(5時間)として、朝5時に出発しました。休憩を入れても11時には本日の行動終了という予定でしたが、ところがどっこい、そうは問屋が卸してくれませんでした。
 1015頃、新越小屋まで1時間弱というところの尾根上で最初の一撃!(稲妻と雷鳴の時間差1秒程度)近くの岩陰に身を潜めて、様子をうかがっていましたが、その後の数分間で5発程度落雷があったのみで20分ほどは沈黙、1040に収まったと判断し行動開始したところ、1044、前方50mほどの小ピークに落雷!足に電気ショックを感じ、その場のハイマツの中に飛び込んで伏せ状態!!(10mほど先を歩かせていたかみさんは頭に電気ショックを感じたといい、さらにその先10mを歩かせていた、たまたま道ずれの金沢の大学院生はパニック状態であたりを走り回っていたので、こらー伏せろ!!こっちに近づくな!!!と怒鳴りつけた)
 雷撃を間近に見ながら、恐怖の時間が過ぎていきましたが、20分ほど後、ようやく、ちょっと遠ざかったかなという頃、なんと、おばさまたち6名ほどの集団がきゃーきゃー言いながら後方から歩いてくるではありませんか!!ハイマツに埋没している私の前でその集団は立ち止まり、「いやー、お兄さん、すごい雷ですねぇ」と話しかけてくるではありませんか。心の中では「こらー、こんなとこで立つな、あっちへ行けー」と叫んでいましたが、おばさまたちは、先の予定があるのでと雷鳴の中へ歩いていってしまいました。せいぜい私はハイマツの中から、「接近して歩くとみんなやられますよー、離れて歩いてー」と言うのが精一杯でしたが、おばさまたちは「離れるとこわいもーん」と団子状態で立ち去っていきました・・・・。
 その後、1120頃、ようやく青空も見えてきたので、ほうほうの体で新越小屋に駆け込み、その日はテントはあきらめ、小屋泊まりとしたのでした。
 同行した大学院生は、明日はゼミがあるんだよなーと、下山のため行動をする予定でしたが、「まだこれからが雷本番なんだろーなー」と脅しをかけてやったら、迷っていましたが小屋泊まりを決めました。
 先ほどのおばさまたちには新越小屋で追いつきましたが、まだ先に行くとのことで、くれぐれも離れて歩くように言いましたが、団子状態で出発していきました・・・。
 その後、3時頃からは、ニュースになるほどの雷鳴と大雨で、小屋の発電機も止める(昨日も発電機に落雷したらしい)ほどでした。
 しかし、停滞を決めた我々には気楽なものでしたが、最終は1730まで雷鳴轟く中を到着する登山者が次々あり、いったい何を考えているんだか・・・。
 その日の気象を理解していれば、午後おそくに到着する予定なんて立てられるわけがないのに、最近の高年登山者の神風ぶりにはついていけません。
 ちなみに顔面裂傷のおじさまは16時頃被災、鹿島槍で死亡のパーティーは1630頃と聞きましたが、何でそんな時間に・・・?
 先のおばさまパーティーは翌日朝、種池ヒュッテで会いましたが、10分差で落雷にあわずに小屋に到着できたとのことでした(危機一髪!)
 帰宅後に、中部電力の雷レーダーで状況をみたところ、当日の1000頃〜1110頃にかけて雷雲の活動が観測されており、1030−1040は、一時的に活動が弱まっていただけで、その後は活発に活動していたことが記録されており、20分程度の様子見では不十分であったことが判りました。午後は1500−1630は真っ赤状態で、人の歩ける状態ではないことがよく判ります。
翌日も雷の予報があるので、これに懲りた私は午前2時30分出発とし、闇夜の中を安心して歩くことができました。8時には稜線は雲に覆われたため、鹿島槍行きはあきらめ下山することにしましたが、レーダ記録によると、その日は活動がありませんでした、がっくり!?
 もっとも痛かったのは、種池から車を止めてある駐車場(扇沢)に降りる登山道が大雨で流され通行止めとなり、別のルートから下山する羽目になり、駐車場までのタクシー代がバカにならなかったことでした・・・とほほ。


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